へずまりゅう出馬から考える、「迷惑」と民主主義
YouTuberとして知られた、へずまりゅう氏が政党「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」から参議院補欠選挙(山口県選挙区)に立候補した。
インターネットを通じて誰しもが「クリエイター」として発信できるようになった現代社会において、他人より目立ち、注目を集めるための方法として、他人がやらないようなこと→基本的にはやってはいけない、とされていることを積極的にチャレンジする「迷惑行為」を目にすることが珍しくなくなった。時にワイドショーや週刊誌などインターネットの外側でも取り上げられる機会も増えてきている。
今回出馬を決めたへずまりゅう氏は、会計前の食品を店内で食べたことで窃盗罪などに問われ、一審で懲役1年6ヶ月、執行猶予4年の判決を言い渡されたり、新型コロナウィルス感染の疑いがある身で全国を駆け回るなど、「迷惑系YouTuber」として悪名を馳せてきた。
また、彼を公認した政党「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」はもともと「NHKから国民を守る党」と称しており、2019年に政党要件を満たして以降6回にわたる党名変更を行ったり、過去には衆院補欠選挙で意図的に野党統一候補と同姓同名の候補者を出馬させたり、ひとりしか当選しない東京都知事選挙に推薦候補を3人立候補させるなど、選挙制度をハッキングした奇抜な選挙戦術を次から次へと繰り出し、話題を途切れさせることがない。
常識を逸脱した、広い意味で「迷惑」とも言えるようなこれらの戦略について、党首である立花孝志氏は売名行為であることを隠そうとしない。法律で認められた範囲で制度を利用し、自分たちに注目を集めてその主張に耳を傾けるきっかけを作ることの何が悪いのか、という主張の前に、私たちは有効な反論ができていないままだ。
そもそも、N党に限らず選挙運動それ自体が迷惑行為の連続ではないか。
早朝から大音量で名前を連呼するばかりの選挙カー、大量にポスティングされてほとんどが見られることのないまま古紙回収に回される政策ビラ、「電話作戦」と称して時間を問わずかかってくる投票依頼の着信などなど、私のように選挙カーを追いかけ回す趣味者でもなければ、選挙が近づくと不快で迷惑な思いばかりをする。これはいったいなんなのか。
思うに、《他者に自分(たち)の考え方を伝える》という行為そのものが迷惑性から逃れられないのではないだろうか。自分の方を振り向いてくれない相手に、肩を叩いたり、大きな声で呼びかけたりして注意を引く、といったコミュニケーションの基本の延長線上に、それを位置付けることができるかもしれない。
1人でも多くの人と問題を共有したい、思いを伝えたい、となった時に、当然のことながらターゲットとなるのは「問題が共有できていない人」、であり自分(たち)のことを知らない「思いが伝わっていない人」であるわけだ。ターゲットの側からしてみれば、自分が思いを寄せていなかったイシューに関して、半ば無理矢理に考える機会を提供させられることになる。それは、自分の時間が奪われると同時に、「考えていなかった自分」の存在に強制的に(受け入れる受けいらないに関わらず)向き合わされる体験となる。不快な体験に他ならない。
選挙運動に限らず、例えばデモ行進で道路が塞がれたり、ストライキによって物流が途絶える、といった事象に遭遇する時に感じる不快感も同様だろう。
一方で、不快感を感じた側の私たちは何を考えればいいのか、という課題についても考えてみたい。当然のごとく、不快感を感じさせた側に対する心証、第一印象はいいものにはなりにくい。ただ、「迷惑をかける奴らは悪」と切り捨てて、怒って終わりにしてしまうのではもったいない。できれば、他人に迷惑をかけてまで伝えたいメッセージとはどんなものなのか、という好奇心を持つ余裕が欲しい。
道路を塞いでまで訴えたい主張はなんなのか?昼間から選挙カーで連呼してでも覚えてほしい名前の持ち主が作り上げたいのはどんな社会なのか?荒唐無稽に思える主張がほとんどかもしれないが、フィルターバブルの時代に新しい考え方に出会える数少ないチャンスでもある。
世界が精神的にも経済的にも余裕を持ちにくくなるほど、「迷惑」への拒否反応も強くなる。一方で、冷静にお互いの主張を吟味して議論や対話を重ねる民主主義において重要なプロセスもまたネグレクトされやすくなり、分断が進みやすくなる。
「迷惑」に向けた怒りや不快の感情を、余裕がある時はその先に思考を進めて、その発信元のメッセージを冷静にジャッジしてみてほしい。